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東京 -昭和の記憶-
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タイトル 

旧中山道(左奥に向かう道)と明治通り(左右の広い道)が交差する場所が掘割交差点。手前が板橋で、奥が巣鴨方面。
味わい深い自転車屋も姿を消し、あたり一帯は空き地になってしまっていた。そのうち、高層マンションでも建つのだろうか。

1983.10(2006.11)

掘割交差点

滝野川銀座

掘割交差点を境に、豊島区から北区に入る。住所は滝野川六丁目。通りの名も滝野川銀座と変わる。
このあたりは戦災で焼け残った地区とのことで、このお宅にも歴史が感じられる。2階部分の櫺子(れんじ)格子が目を引く。

1983.10(2006.11)


さらに滝野川銀座を北上。このあたりは木造商店が軒を連ねていたが、すっかりマンションに変わってしまっていた。

1983.10(2006.11)

滝野川銀座

板橋駅

赤羽線の踏切から板橋駅を望む。現在は、通称・埼京線となっているこの路線も、当時は池袋と赤羽を往復するだけの8両編成の電車が行き来していた。
左の2本の線路が本線で、右端は貨物用。駅の左側にも貨物列車が見える。

1983.10(2006.5)


上の写真の反対側(赤羽方面)。左奥に貨物ホームが見える。右側にちらりと見えるのが赤羽線(埼京線)の線路。
この前後から板橋区に入る。地名のもととなった「板橋」は、さらに1キロほど直進。コンクリート製になったが、いまでも石神井川にかかっている。

1983.10(2006.11)

板橋貨物駅
2006年12月作成
 

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