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東京 -昭和の記憶-
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タイトル 
佃大橋から東側を望む

隅田川に架かる佃大橋から東側を望む。向かって左が佃島、右が月島。1980年代の初頭には、まだまだ高層ビルはあまり建っていなかった。
佃大橋の完成は1964年。それまでは、佃の渡しが両岸を結んでいた。

1980.11(2015.3)


佃大橋から北方向を望む。橋のたもとにはこうした土砂運搬船が係留されていた。
現在の写真で正面に見える橋は、1993年に完成した「中央大橋」。

1980.11(2015.3)

佃大橋から北側を望む

佃大橋から南側を望む

夕暮の佃大橋から南西方向を望む。遠くに見える橋は勝鬨橋。川の両岸には「カミソリ堤防」が築かれ、その脇には工場や倉庫が建ち並んでいた。

1980.11(2015.3)


佃一丁目の中心部には、昔ながらの雰囲気が今でも残されている。この道の突き当たりは隅田川の堤防となっており、1964年まではそこから対岸まで佃の渡しが運行されていた。

1992.6(2015.3)

佃島

佃島

佃島は、徳川家康が摂津国佃村(現・大阪市西淀川区佃)から漁民を招き入れて下賜した土地。この写真と上の写真が、まさにその場所にあたる。現在の住所では佃一丁目に当たる。。

1992.6(2015.3)


清澄通りの初見橋交差点(地下鉄月島駅前)の北側には、こうした個人商店が並んでいたが、地下鉄の開通によってその多くが姿を消した。住所は佃三丁目になる。

1992.9(2015.3)

佃三丁目・清澄通り

佃二丁目・清澄通り

上の写真の反対側(佃島側)で、住所は佃二丁目。撮影場所は記憶になかったが、バックの2棟の高層マンションの向きや位置関係から、ほぼここで間違いない。

1992.9(2015.3)

2015年3月作成
 

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