トップページ
時刻表にない鉄道
page 1 2 3
タイトル

■玉川上水駅の放置SL  1978/01
西武拝島線の玉川上水駅構内に、戦前・戦時中の鉄道連隊で働いていた蒸気機関車が放置されているという情報は、雑誌で見たのだと記憶している。
もうなくなっているかもしれないと思いつつ訪ねてみると、なんとホームに降りたとたんに目に飛び込んできた。

玉川上水駅のSL

玉川上水駅のSL かつては何両も置かれていたらしいが、この時点では2両になっていた。
こちらは、A8系と呼ばれる動輪2軸の1B1型タンク機関車。


こちらが、鉄道連隊で使用されていた動輪5軸のEタンク機関車。
千葉県の習志野で野戦訓練のために使用されていたもので、その線路を利用して新京成電鉄が開業したのは有名な話である。

玉川上水駅のSL

玉川上水駅のSL A8系のスポーク動輪。これらの機関車は、戦後、西武鉄道の安比奈線などの砂利取り運搬などに使われていたのだとのこと。

そして、キャブ(運転台)。左が石炭をくべるカマで、下に四角くなっているのが投炭口(扉)で、ここを開けて石炭を投げ入れる。
玉川上水駅に置かれていた蒸気機関車については、こちらに詳しい情報がある。

玉川上水駅のSL

■神岡軌道(跡)  1978/08
神岡軌道跡 岐阜県の北部にある神岡は鉱山で栄えた町である。かつては狭軌(ナローゲージ)の専用鉄道である神岡軌道が、神岡と高山本線の猪谷を結んでいたが、国鉄神岡線(→神岡鉄道→2006年廃止)の開通に伴って廃止された。
中央の山の中腹、立て看板が見えるところが神岡軌道の廃線跡である。


この軌道のことを知ったのは、鉄道モデラーのための本である『シーナリーガイド』(機芸出版社)。すさまじい崖の上を走る軌道に驚き、その跡が多少でもたどれないかとやってきたのである。
この写真では、コンクリートの建造物の上部を軌道が走っていた。トンネルの壁にかまぼこ型の窓が開いている。


*写真にポインタを合わせると、トンネルの部分を拡大します。
神岡軌道跡

神岡軌道跡 軌道跡らしき道をたどると、こんなところに出くわした。奥にトンネルが見える。手前の構造物は、廃止後になってできたものだろうか。

■神岡鉱山茂住坑  1978/08
当時は5万分の1の地図をみると、各地の鉱山にレールのマークが描かれており、機会があると訪ねてみたものである。
とはいえ、現地に行けば自由に見られる森林鉄道と違って、鉱山はガードが固かく、ここでは撮影許可を得ようと事務所に行ったら所長に面罵された。
それが今になって、人集めのための観光用に軌道跡を利用しているなんて、なんだか腑に落ちない。

神岡鉱山茂住坑

神岡鉱山茂住坑 場所は、国鉄神岡線の茂住駅から山道を登ったところにあった茂住坑。結局、この2枚を撮るのが精一杯で、車両が走ってくるのは見られなかった。

ちなみに、地下深くまで穴を掘ったおかげで宇宙線観測に適しているということで、現在では東京大学宇宙線研究所のスーパーカミオカンデ(ニュートリノ検出装置)がここに建設されている。


■倉谷鉱山(跡)  1976/07, 1977/03
ここもまた、5万分の1の地図をたよりにやってきた福井県の山奥の鉱山跡である。尾小屋鉄道の撮影のついでにやってきた。
倉谷口という駅から山道を小一時間ほど歩くと意外に大きな倉谷の集落があり、その奥にこんな荒涼とした鉱山跡が広がっていた。
倉谷鉱山跡

倉谷鉱山跡 山の中から、こんな煙突のようなものが突き出しでいるのが不思議。
廃鉱にはなっていたが、上の写真の右下に見える建物で、2、3人ほどの人が立ち働いていた。聞くと、排水から鉱毒が流れ出ないように措置をしているとのこと。
もちろん、軌道の影も形もなかった。

実は、2回目の尾小屋鉄道の訪問時に、尾小屋の集落の奥にトンネルの入口を見つけた。それは、かつて倉谷鉱山と尾小屋を結んでいたトロッコのトンネルだったのだそうだ。
これが尾小屋側の入口。

倉谷と尾小屋を結ぶトンネル

倉谷と尾小屋を結ぶトンネル
倉谷と尾小屋を結ぶトンネル
トンネルの入口には「歩行者優先」と記されていたから、昔はここを人も通っていたのである。そのあたりの事情は、こちらに詳しい。はるか向こうにぽつんと出口の灯が見えるが、このトンネルを歩いていく気にはなれなかった。

▲ 前ページへ page 1 2 3 次ページへ ▼

■トップページ | 「時刻表にない鉄道」表紙に戻る■