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時刻表にない鉄道
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タイトル

■鉄道用品株式会社の東武鉄道1号機  1973/02
常磐線の下り電車が馬橋駅に到着する直前、左手の線路端に「鉄道用品株式会社」と書かれた建物が見える。
現在、その内部の様子はまったくうかがいしれないが、かつては電車内からもよく見えたものだった。

鉄道用品株式会社構内

鉄道用品株式会社構内 いろいろな電車や客車が置かれているのが見えて興味深かったが、ある日、そこに小さな蒸気機関車の姿があるのが目に入り驚いた。
すぐに電車を降り、線路をぐるりと大回りして会社の入口に立ったのである。


意を決して、近くで作業をしている人に写真撮りたいと伝えると、あっさりと「いいよ」という返事がかえってきたではないか。まだまだ牧歌的な時代だった。
あとで知ったことだが、これは東武東上線のときわ台駅前に展示保存されていた蒸気機関車であった。


鉄道用品株式会社構内

鉄道用品株式会社構内 ドイツのコッペル社製の小型蒸気機関車である。輸入されて有田鉄道1号機として使用されたのち、東武鉄道にやってきたという。
現在は、板橋区立城北交通公園に保存されているとのことである。


■九十九里鉄道東金駅(跡)  1973/10

九十九里鉄道は、「時刻表にない鉄道」という本項のタイトルに反して、かつて時刻表に掲載されていた軽便鉄道である。国鉄東金線の東金駅から、海沿いの上総片貝まで走っていた。
1961年の廃線後もしばらく車両が何両か放置されていた。かなり荒廃しているが、単端式のガソリンカーの面影をかろうじて残している。

単端式ガソリンカーの廃車体

朝顔型連結器 はじめて見た朝顔型カプラー(連結器)。
これらの車両は、京成電鉄が船橋ヘルスセンターと谷津遊園の間で観光用に走らせる計画があったという。
そのために、廃線後もすぐに車両を解体せずに残していたのだそうだ。


陳腐な表現ではあるが、ここだけ時間が止まっていたような印象を受けた。
まさに、つわものどもが夢の跡。軽便鉄道華やかなりしころの情景が、よみがえってくるようであった。
手前の小さな貨車は九十九里鉄道のもので、奥の貨車は国鉄のものである。
国鉄東金駅はその向こうにある。


東金駅跡

■頸城鉄道新黒井駅(跡)  1978/08
新黒井駅跡 新潟県を走っていた軽便鉄道である頸城鉄道新黒井駅跡である。信越本線の黒井駅の裏手に残されていた。
国鉄に接続する新黒井~百間町は1968年に廃止され、残る区間も1971年に廃止されている。
当時の車両は、くびき野レールパークに保存されている。


■上野動物園の「おさる電車」  1974/06
「おさる電車」といえば、1960年代までに生まれた人ならば覚えているだろう。
文字通り、猿が運転する電車である。上野動物園の園内で走っていたもので、廃止になると聞いて、鉄道好きで物好きな高校の同級生とともに足を運んだのだった。


最終日の飾りつけ

おさるの運転士 運転するといっても、車両の上に付いているコントローラーをクイッと動かすだけである。あとは、停車まで自動で運転されていた。

写真ではよく見えないが、列車とは鎖でつながれている。そんなこともあってか、動物虐待ではないかという声もあがり、施設の老朽化もあいまって廃止となったようである。


この日は最終日とあって乗客や野次馬やらが多数押しかけたため(私もその一人なのだが)、猿が興奮気味。
動物園の関係者がなだめすかして、ようやくコントローラーを動かしてくれた。

車両は、おなじみ東海道新幹線の0系電車がモデルである。
おさる電車

おさる電車 線路は、こんな風に途中で交差していたから、8の字の形だったのだろうか。
動物園の関係者が、猿のご機嫌をうかがっている。

そして、貴重なショット(たぶん)! 大昔の「おさるの電車」である。ゴツイ機関車がなかなか魅力的。蒸気機関車をかたどったものだろうか。だが、あえていえば、浜安善にいたという無火機関車に似ている(……といっても、わかる人はごく限られているだろうが)。

1958年に父が撮影したもので、先頭に乗っているのが私。その隣には母がいる。
1958年のおさる電車
2019年2月公開

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