警官は、本署に来てくれという。またか、と思ったが、今度は被害者なのだから、行かなくては話にならない。 私は、親切で人なつこい少年少女たちに、グラツィエ、グラツィエ (ありがとう) を連発して、3日ぶりにパトカーに乗り込んだ。 本署では、取り調べ室のようなところに通されて、少し偉そうな人が出て来てきた。 イタリア語で「ジャポネーゼ (日本人) か?」と聞くので、イタリア語で「シ (そうでごぜえますだ) 」と答えた。 「そうか、そうか。それじゃ、英語のわかるやつを連れてこよう」 うーん、どういう発想なんだろうか。きっちりとイタリア語で答えたつもりなんだが……。英語ぺらぺらの人が出てきたらどうしよう……。何か、いやーな予感がした。 | |
気をとりなおして出かけた夜の散歩。金曜日だったので、ずいぶん人が出ていた。 撮影 : 1985/12 Milano |
そのいやーな予感は、別の意味で当たってしまった。 しばらくして、ハウ・ドュー・ドゥーとか言いながらやってきたのが、40代なかばくらいのぼーっとしたおじさん。ほかの警察官とはちがって、私服である。 おじさんは、持っていた書類をおもむろに机に置いた。そして、用紙の「Nome」(ノーメ)と書かれた場所を指さして、ひと言「ネーム」。 私は、この不思議な間合いに、ややうろたえたながらも、自分の名前をローマ字で書いた。 次に、おじさんは、「Indirizzo」(インディリッツォ)という欄を指さす。ところが、指さしたままでしばらく沈黙がつづく。 ----どうしたんだろう。何か気にさわることをしたかなぁ……。 だが、おじさんの顔を見ると、別に不機嫌そうでもない。 5秒ほどたったところで、私はさとった。そうか、英語が出てこないんだ。 しょうがないので私が先に声を出した。 「アドレスでしょう」 「おう、おう、おまえはよくイタリア語がわかるな!」 おじさんは、おおげさなほどに喜んでくれた。Indirizzo (住所) という単語くらい知っていても、ちっともほめられるようなことじゃないと思うが、まあほめられたことだし、私はにっこり笑って、うんうんとうなずきながら、日本の住所をローマ字で書いた。 まあ、すべてがこの調子であった。 | |
ミラノ中央駅。映画「ひまわり」のなかで、マルチェッロ・マストロヤンニとソフィア・ローレンが、この駅で別れるシーンがある (しかも2度も)。いま思い出しても涙が出てくるのだ。 撮影 : 1985/12 Milano |
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ドアが開いたままなので、廊下からは部屋のようすがまる見えである。ときどき若い警察官がなかをのぞきこんで、おじさんに声をかけていく。 「おお、仕事があってよかったなあ! わっはっは」 おじさんは、にやにやしながら手を振っていた。 そうか、このおじさんは、英語を話す人のための要員なんだ。それにしても、この英語はヒドい。私だって、イタリア語はペラペラだとは言わないが、少なくともこのおじさんの英語よりはじょうずだという自信はある。 でも、あまりイタリア語を話すと、このおじさんの存在意義がなくなりそうなので、以後は私もなるべくへたな英語で応対することにした。 こんなわけだから、書類に書くだけでやたらに時間をくってしまった。そして、すべてが終わったときには、私もおじさんもぐったりしてしまった。財布をすられた腹立たしさは、もう半分くらいどこかに行ってしまっていた。 そして、数十分ほどの後、ようやく解放され、警察署の建物を出た瞬間である。 私は重大なことに気がついた。 ----あのかわいい子はどこに行ったんだろう! 私は、早足でさっき少年少女たちに出会った場所にもどった。だが、そこには彼らの影も形もなかった。 ----しまった。名前と住所を (できたら電話番号も) 聞くんだった。 愚かにも、私は財布ごときに気を取られて、かわいい女の子の名前すら聞かなかったのである。相手は、英語を教えてくれとまで言っていたのに……。 私は、財布をなくしたうえに、かわいいイタリアの少女に会えなくなったことにうちひしがれ、夕暮れのミラノの街をとぼとぼと歩きまわるしかなかった。 翌日、もしやと思い、同じ時間に同じ場所に行ってみた。 やっぱりいない。 あちこちを見まわしながら、町中をうろつきまわったが、見つかるわけがなかった。 しかたがない。いつまでもミラノにいるわけにもいかず、その日の夕方、私は彼女の面影を心にいだきながら、せつない気分でミラノ中央駅をあとにしたのであった。 |
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