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駄菓子のイタリア無駄話目次
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 1981年秋。駄菓子青年は、サムソナイトの大きなスーツケースを持って、フィレンツェ駅に降り立った。横浜港を船出してから約2週間、酔狂にも延々とシベリア鉄道に乗ってきたので、いかにもはるばるやってきたという気分であった。

 感傷にふけるまもなく、住むところを考えなければならなかった。学校に行けばどこか紹介してくれるだろうと思い、何も考えてこなかったのである。いま考えると、あまりの無計画さにあきれるほどである。
 そこで、まずは駅に荷物を預け、地図を見ながら語学学校に向かった。

 学校は、町のはずれにあり、駅から歩いて30分もかかってしまった。ともかく事務所で登録の確認をすると、私は初級会話のテキストどおりのイタリア語で事務の人にたずねた。どう言えばよいのか、道々けんめいに考えてきたのである。
「えー、下宿を探したいのでごぜえますが……」
 すると、その人は、何かペラペラと言いながら、1枚の紙をくれた。見ると、フィレンツェ市内の学生向け安下宿が十数軒載っている一覧表であった。どうやら、自分で探せということらしい。
----えーっ、困ったなあ。全部いっぱいだったらどうすんだろう……。
 私は一抹の不安をいだきながらも、まずは迷わず一番安いところに向かった。

フィレンツェ駅 フィレンツェ駅から見えたサンタ・マリア・ノヴェッラ教会の尖塔を見て、遠くに来たことをしみじみと感じた駄菓子青年であった。

撮影 : 1981/10 Firenze

 そこは、旧市街の中心部に近く、古い集合住宅の3階にあった。
 呼び鈴を押すと、しばらくしてドアが開き、背が高くて顔の長い五十代後半くらいのおばさんが出てきた。そして、何かひとこと早口で言った。
「○×△□」
 当時の私の語学力では、そのひと言さえ聞き取れなかった。ただ、おばさんの不機嫌そうな低い声に、私はひどくうろたえた。
----しまった、ケチなことをしないで、もう少し値段の高いところにしておけばよかったか。
 だが、いまさら後にはひけない。気を取り直して、必死にイタリア語を絞り出した。
「あ、あの、部屋を3か月ほどお借りしたいのでごぜえますが……」
 すると、おばさんは何かいろいろ言ってくるのだが、悲しいことにまったく理解できない。

 そこで考えた。
「あっしは、日本からイタリア語を勉強しにきました。でも、まだよく話せないんでございます」
 こう言って、学校でもらった安下宿一覧表を見せることにした。そこには、何やらイタリア語で細かく書いてあったので、「下宿のおばさんにお願い----この紙を持参した学生には、やさしく応対してあげてください」なんていう一文もあるかもしれないと思ったからである。
 はたして、本当にそんなことが書いてあったかどうかは知らないが、おばさんはしばらくその紙に目を通していた。

 ややあって、おばさんは私の顔を見ながら、ゆっくりと言った。
「いいでしょう、でもいまはツインの部屋しかあいていないのよ。それも、来月には予約が入っているので、1か月でよければいいわ」
 なにしろ、シベリア経由で2週間も旅を続けてきた身である。もう、ほかの下宿をまわる気力もなかったので、それで結構でございますということにした。

 ツインの部屋といっても、1か月でたったの4万円。当時としてもかなり安かった。
「ツインでも、フィレンツェじゅうで、こんなに安く止まれるところはないわよ。学校で友だちを見つけて、いっしょに住むといいわ。そうすれば半額になりますからね」
 話していくうちに、だんだんおばさんの愛想がよくなってきたので、私はほっとした。

                            
窓から見えるフィレンツェのドゥオーモ。
といっても、これは私のいた安下宿からの眺めではなく、畏れおおくもサンマルコ修道院からの風景である。

撮影 : 1996/06 Firenze

窓の外に見えるフィレンツェのドゥオーモ

 部屋の内容も値段相応のもので、日当たりはもちろん悪く、バストイレは共同。薄暗い部屋にはベッドが2つ、そして机と洋服ダンスがついていた。
 1つしかない小さな窓は、中庭らしき空間に面しているのだが、そこを通して見えるのはまわりの建物の壁ばかりである。それでも、窓の外に顔を出してみると、上のほうに青い空が少し見えた。

 いまだったら、いくら安くてもこんな部屋を紹介されたら、1日で飛び出してしまうことだろう。
 しかし、私は若かった。
----夏目漱石も、ロンドンに留学したときは小さな下宿に住んでいたのだ。
 私は、いかにも自分が苦学生になったような気がして、薄暗い部屋にも満足だった。よく考えたら、日本でもそれまでひとり暮らしをしたことがなかったのだ。
----ここから、私の人生にとって重要なできごとがはじまるのだ。
 こんなことを思って、ひとり陶酔していた駄菓子青年であった。まあ、たしかにそれはウソではなかった。

 語学学校の開講まで、まだ数日あった。




 


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