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駄菓子のイタリア無駄話目次
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 イタリアに着いたばかりのころは、見るものなにもかもがおもしろかった。なにしろ、町のネオンも看板もみな横文字なのである。
 イタリア語の便利なところは、書いたとおりに読めばいいことだ。「ローマ字」とはよく言ったものである。そこで、日本でちょっぴりかじってきたとはいうものの、イタリア語初心者の駄菓子青年は、日課となった散歩の時間には、なるべく看板の字を頭のなかで読み上げながら歩くことにした。
 「Pelleria----ふーん、ペッレリーアか、……Pelleが『革』だから革製品の店だな。で、Gelateria(ジェラテリーア)がアイスクリーム屋か。ふむふむ。ん、このBiancheria(ビアンケリーア)というのはなんだろう。Bianco/a(ビアンコ/ビアンカ)は『白』のことだけどなあ」
 こんなふうに、しばし看板を見上げながらたたずんだりする。で、よくわからずにショーウィンドウを覗き込むと、それはもうこんなに大きなものを誰がするんだろうというブラジャーやら、こんなごてごてとした模様をつけてどうするんだろうかというパンティーが飾ってあり、純情だった私はそそくさとその店の前を去る……ということもあった。
 それにしても、店の外壁に縦長に取り付けた看板に、横方向に文字が書いてあるのは不合理である。そんな看板を読むには、いつも首をかしげながら歩かなくてはならず、これじゃ首が凝ってしょうがないと思ったのであった。
 ところで、街角にあるキオスコ(新聞の売店)の前に、その日の新聞のトップの見出しが飾られているのは日本と同じ光景である。どうせ新聞を買ってもほとんど読めないのだから、せいぜいこの見出しの意味くらいはわかるようにしようと、いつも目にとめていた。

これがイタリアのキオスク(キオスコ)。雑誌は、本屋ではなくここで扱っている。撮影 : 1985/11 Firenze
イタリアのキオスク


 さて、フィレンツェでの当面の宿も決まり、学校の始業を目の前にしたある日のことである。いつものように夕方の散歩に出て、とある売店の前を通りかかると、こんな見出しが目に入った。
Funghi uccidono 4 persone !
「えーと、フンギ ウッチードノ クワットロ ペルソーネ……か。はてな?」
 uccidono(ウッチードノ)は知っていた。uccidere(ウッチーデレ……殺す)という動詞の3人称複数である。4 persone(クワットロ ペルソーネ)は、4人ということだ。
 だが、Funghi(フンギ)がわからない。……頭脳明晰、知識豊富な読者の方ならば、すでにご存じの単語かもしれないが、なにしろいまとくらべるとイタリアの情報は皆無といっていいころ。当時の私には、それがFungo(フンゴ)の複数だろうということしかわからなかった。
 そこで、限られた単語の意味をもとにして、私の頭脳は勢いよく回転をはじめた。
----ふむふむ、要するに、「<Fungoの複数>が4人を殺した」というニュースだな。
 英語でいえば、"Funghi kill 4 persons"といったところである。
 とすると、なんという恐ろしいニュースであろうか。その新聞というのはフィレンツェの地方紙である。この近くで、連続殺人事件があったということではないか!
 もしかすると、Funghiというのはシチリアのマフィアやナポリのカモッラのような恐い集団かもしれない。そう言われてみると、フンギという語感も、かなりおどろおどろしい。
 イタリアに行くんならストライキとテロには気をつけろと友人たちに言われて、「ばかいえ、本当はそんな国じゃないんだ」と威勢よく言って出てはきたものの、やはりここは危険な国なのかもしれない。
----ここフィレンツェはずいぶん安全なように見えるけれど、やっぱり外国では気をつけなければならないんだなあ……。
 こう私は判断し、賢明にもその日の散歩は早めにきりあげて安下宿にもどったのである。
 もちろん、部屋にはいってすぐに辞書を開いた。
----えーと、fungo、fungoはと、……ん、ん? ……え! ……ふにゃ~~。
 まさか、「キノコ」のことだとは思わなかった。
 その年は雨が多く、森ではキノコがうじゃうじゃ生えてきたらしく、トスカーナ地方だけでも毒キノコにあたって死んだ人がずいぶんいたそうな。


街角の売店 このようなクラシックな「キオスコ」もある。これは、イタリア北部のマントヴァにあるもの。撮影 : 1996/07 Mantova

 日本語では「キノコで死んだ」「キノコを食べて死んだ」というところを、イタリア語は「キノコが殺した」と言えるのだと知った。
 英語で習った「無生物主語」というやつ(といってもキノコは生物だが……)なのだろう。日本の学校では何度習ってもピンとこなかったが、実際に自分の目で見るとよく理解できるものである。
「よし、これでまた、ひとつりこうになったぞ」
 と、多少の負け惜しみとともに、ささやかな満足感をいだいた駄菓子青年であった。
 だが、その日は、もう一度散歩に出る気力は残っていなかった。


 


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