トップページ
駄菓子のイタリア無駄話目次
前ページへ イタリアの気ままな路線バスの巻 次ページへ
 フィレンツェに来てまだまもないころの話である。
 どこに行こうとしていたかは忘れたが、T島氏という日本人の男性とフィレンツェの市内バスに乗っていたときのことだ。私にとって、その系統のバスに乗るのははじめてであった。
 昼下がり、2人とも疲れていて、前のほうの座席にすわってぼんやりとしていた。
 旧市街からだいぶ外に出て、とある広い交差点にさしかかったときのことである。前を見ていたT島氏がぽつりとつぶやいた。
「あれ、変ですよ、これ」
 T島氏という人物は、とにかく口から先に生まれてきたような人で、あることないこと、よくしゃべる人であった。だから、そんなことばを聞いても、「また、おかしなことを口走ってるな」と思った程度で、あまり気にもとめなかった。
 ところが、その直後、私たちの乗ったバスが、広い交差点の真ん中で急停止したのである。
 いったい何が起こったんだろう……。
 事故が起こったのでもないようだし、飛び出しがあったわけでもない。信号も青のままである。

フィレンツェの中心部を走る旧型のバス。
1981年当時は、イギリス製の2階建てバスも走っていた。撮影 : 1981/11 Firenze
フィレンツェ中心部のバス

 何事が起きたのかと、運転手と正面の窓を交互に見ていると、たまたま反対車線にいたバスの運転手が降りて来て、交差点で交通整理をはじめるではないか。
 そして、私たちのバスの運転手に合図をすると、乗っていたバスがいきなりバックをはじめた。
 これで、ようやく事情が飲み込めた。
 なんと、この路線バスの運転手は、道を間違えたのである!
 日本ではこんな経験をしたことがなかったので、私は呆然とした。
 さぞかし大騒ぎになるだろうと思って、座席をみわたしたのだが、乗客はいたって冷静である。運転手も涼しい顔をしていた。もちろん、アナウンスなどあるはずがない。
 それにしても印象に残ったのは、交通整理をしていた運転手が、いやにてきぱきとしていたことである。
----こりゃあ、そうとう手慣れているぞ。しょっちゅうやってるんだろうなぁ。
 そして約1分後、何事もなかったように、私たちの乗ったバスは交差点を右折して次の停留所に向かったのであった。

ヴェローナのバス イタリアの市内バスは、このように、どの都市でもオレンジ色をしている。長距離バスは青い。
左の写真は、「ロミオとジュリエット」の舞台になったイタリア北部のヴェローナのバス。撮影 : 1981/09 Verona

 それから約2か月後、アッシージのバスの車内。
 アッシージの駅と旧市街とを結ぶ、個人旅行で行く人にはおなじみの路線バスである。
 オフシーズンということもあって、車内はわりと空いていた。
 バスが旧市街のはずれのロータリーにさしかかり、いよいよ昔ながらの町並みが見えてくるというときである。
 最後部の座席に陣取っていた学生らしき数人が、とつぜん騒ぎだした。なにごとかと思って見ると、みんな手をたたいて大声をあげている。
 バスはそこで急停車したので、私は何かいやな予感がした。もしや我々はテロリストによってバスジャックされたのか、はたまた運転手が強盗に早変わりするのか……。
  すると、2、3秒後、運転手は憮然とした顔をして、ロータリーの中央からバスをバックさせるではないか。そして、十数メートルほどバックしたら、こんどは進路を変えて別の車線に入っていったのである。なんのことはない。進入する車線をまちがえただけであった。
 学生たちは、最後まで大喜びであった。
 それにしても、路線の複雑なフィレンツェならまだしも、アッシージの駅と街を結ぶバスで進路を間違えるとは……。
 まあ、別に怒ることでもないし、どうせヒマだったので、珍しい体験にむしろうきうきした気分になってしまった。
 とはいっても、例の学生たちといっしょに騒ぐ気にもなれなかったので、「アッシジにはかかわりのないことでござんす」という顔をして窓の外に広がるウンブリアの平原を眺めていた駄菓子青年であった。


 


▲前のページに戻る 次のページに進む▼

■トップページ | 「イタリア貧遊記」表紙■