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駄菓子のイタリア無駄話目次
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 いつものように、学校が終わってフィレンツェの町中をS氏と歩いていたときであった。
 私が、ある店のショーウィンドウをのぞきこんでいる間に、S氏の姿が見えなくなった。
 どこに行ったのかと見まわすと、はす向かいの小さな文房具屋に入って、いつのまにか年配の店主らしきおじさんと話し込んでいるではないか。おじさんの隣には、10歳くらいだろうか、かわいい女の子がいる。
 なにをやってるんだろうと思って、私も店に入っていった。
 よく見ると、S氏の手元には、20センチほどのプラスチックの定規が置いてある。半透明の黄色をした、やけに品のない一品である。しかも立体的になっており、断面は一辺が3センチほどの正三角形をしている。
----Sさんはこんなもんを買うのかなぁ……。ブランド物の輸入の仕事をしていると言ってたけど、こりゃあとんでもないセンスだぞ。
 心のなかでそう思いながらも、私も二人の会話に適当に合いの手を入れることにした。

イタリアのおじさん こんな感じのおじさんだった……ような気がする。
写真は、ローマの北にあるオルヴィエートにて。


撮影 : 1981/11 Orvieto

 まあ、店主もヒマなのか話好きなのか、初級者の会話にていねいに付き合ってくれているのがうれしい。おかげで、学校で学んだことをずいぶん実践で使うことができた。
 私だかS氏だかが、「Anch'io」(アンキーオ……「自分もそうだ」という意味)と言ったときなど、「おーっ、なかなか実用的なイタリア語を知っているじゃないか」などとほめてくれたのが印象的であった。
 実用的もなにも、イタリア語の初歩の教科書に出てくることばなのだが……。
 女の子はと見れば、まんまるい目をくりくりさせながら、我々とおじいさんの顔を代わる代わる見上げていた。
 20分近く話したろうか、話に区切りがついた。そこで、ようやくS氏が「これは、いくら?」と黄色い定規を指さしたときである。
 待ってましたとばかりに女の子が声をあげた。
「ノーベ・エ・メッゾ!(9つ半)」
 私とS氏は、なんのことだかわからずに、そのままの姿勢で2秒ほど静止してしまった。彼女の年齢が9歳半だというのか……少なくとも、いまの時間が9時半でないことは確かだった。
 一瞬の沈黙の後、おじさんがあわてたようすで、「ノベチェント・チンクワンタ・リーレ(950リラ)」と、きれいな発音で言いなおしてくれた。
----ああ、そうだったのか。950リラを「ノーベ・チンクワンタ(9と50)」と省略するのは知っていたけど、もっと俗っぽく「ノーベ・エ・メッゾ」という言い方もあるんだな。よしよし、こんどどこかで使ってみよう……。
 などと、感心しきりの駄菓子青年であった。
 だが……。


イタリア人の子どもは、みんな目がくりくりしてかわいかった。この国は、子どもと老人の愛想がいい。
イタリア中部、アッシージにて。
撮影 : 1990/09 Assisi
かわいい女の子


 日本に帰ってきてから、いろいろな人にたずねてみたのだが、だれに聞いても「950」を「ノーベ・エ・メッゾ」などと言うわけがないという。それどころか、「そりゃ、おまえ、女の子にからかわれたんだよ」とか「夢で見たんじゃないの」なんぞと言われる始末。
 あれはなんだったんだろうか。イタリア語に興味のない人には、ちっともおもしろくない話であるが、私にとってはいまだに解明されていないナゾとして残っている。
 まあ、それはともかく、S氏はこうして悪趣味な黄色い定規を手にして店を出た。
 そして、店を出るなり、彼は言った。
「それにしても、ダガシくん、この定規は趣味が悪いなぁ。会話の練習じゃなけりゃ、こんなの買いませんわ」
 ああ、またしても……である。
 なんとこの人は、イタリア語の練習のために、わざわざ人のよさそうな店主を探して、ほしくもない定規を買ったのであった。
 そのあとも、「ほんま、これじゃ、かさばって、しまい場所にも困るわ」などと、ぶつぶつ言いながら歩いている。あきれた人である。
 だが、よく考えてみると、これぞ語学学習者のカガミでなのであろう。
 ま、そんなことはどうでもいい。それよりも、あのかわいい女の子は、いまごろ20代なかばの一人前のイタリア女になっていることだろう。どんな女性になっているのだろうか。
 色っぽいすてきな子になっているんだろうか。
 それとも、イタリアの若い女性にありがちな、ツンケンしたいやな女になって、
「アタシったらさー、小さいころー、変な日本人が来たときにぃー、ウソのイタリア語を教えちゃったわけー」なんて言っているんだろうか。
 いずれにしても、名前と住所は聞いておくべきであった。
 余談だが、一般的にいって、イタリアの若い女性がツンケンしているのは事実である。長年その理由もナゾであったが、こちらのナゾは大学の同級生のとある女性によって解明された。
「そりゃそうよ、ダガシさん。なにかというとイタリアの男が言いよってくるんだから……。ツンケンでもしてなきゃ、追い払うのに大変でしょ」
 彼女は、自分もイタリア男を追い払うのがいかに大変だったかということを言外ににおわせながら、こう語ったのである。



 


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