トップページ
駄菓子のイタリア無駄話目次
前ページへ ボロをまとってボローニャ参りの巻(上) 次ページへ
 週末は授業がないので、いつも一人でどこかに出かけていた。
 ボローニャへ行ったのは、秋も深まった寒い日のことである。私は、安下宿にそなえつけの洋服ダンス(クローゼットなどとシャレた名前では呼べない代物)になぜか一着だけ残されていたモスグリーンのコートを着て出かけることにした。
 前の住人が残していったものらしい。コートの必要ない国へ帰っていった人なんだろうか……なんて考えながら、もうけたような気分になり、体臭が染みついて洗っても落ちないのには閉口しつつも、かまわず着ていた貧乏学生の私であった。
 首には、日本を出るときに母親にもらったマフラーを巻いた。赤茶色をベースにした趣味のよくないガラ物のマフラーだったので、本当は欲しくなかったのだが、断るわけにもいかず、そのまま持ってきたといういわくつきの一品である。
 さて、フィレンツェからボローニャへは、列車に乗れば1時間半ほどである。長~いアペニントンネルを抜けると、そこはエミリア・ロマーニャ州だ。ボローニャは、その州都である。
 ボローニャではぜひ見ておきたいものが1つあった。それは、駅の待合室である。

駄菓子青年はセンチメンタルな気分で、ボローニャまでの小旅行に出たのであった。
撮影 : 1981/11 Prato
車窓風景

 当時(1981年)は、イタリアという名前を聞くと、日本人の多くは「テロとストライキ」というイメージを持っていたようだ。70年代には「赤い旅団」のような極左グループがあちこちで爆弾テロ事件を起こしたり、モロ元首相を誘拐して殺害したりするといった物騒な事件があったからゆえ、そのような印象もやむをえないところであろう。
 だから、私が日本を出るときには、ずいぶん友人に心配されたものだった。
「イタリアに勉強に行く」というと、「そんなところへ何しに行くんだ? テロは怖くないのか? ストライキばっかりやっているようだけど、だいじょうぶなのか?」という、今では信じられない反応ばかりだったのである。
 ボローニャ駅の待合室で、極右グループによる大規模な爆弾テロがあったのは、私が行く前の年、1980年のことであった。日本の新聞の一面トップに、ボローニャ駅の写真が大きく載ったことを覚えている。
 この事件で何十人もの人が亡くなったのだが、そのなかに日本人も一人いた。たしか、イタリアを旅行していた早稲田の学生だったと記憶している。
 それからしばらくして、破壊された待合室が建て直されたというニュースが新聞に載ったのだが、その記事の中にこんな一節があった。
----待合室は一新された。だが、あの悲劇を忘れないように、亡くなった人全員の名前を書いたプレートを壁に埋め込み、待合室の一角は事件当時のまま残した。
 この「事件当時のまま残した」というのが印象に残っていた。どんなふうに保存したのか、ぜひ見てみたかったのである。


ボローニャ市内 ボローニャの市内。重々しい古い町並みと、その建物に入っている新しいファッショッンの店が対照的であった。
撮影 : 1981/11 Bologna

 ボローニャは鉄道の要衝だけあって、駅もかなり大きく、風格を感じさせた。何本ものホームが迷路のように入り組んでいるのは、歩いているだけでも楽しい。
 フィレンツェ・サンタマリア・ノヴェッラ駅やローマ・テルミニ駅のような行き止まりの駅もいいが、このボローニャ駅はそれとはまたちがう風情があった。列車がひんぱんに行き交い、人びとが歩きまわり、実に活気に満ちた駅という印象である。
 問題の待合室は、駅の出口近く、外の通りに面した場所にあった。大きな窓から日が差し込み、広々としてのどかな空間である。ここでほんの1年前に大惨劇があったなどとは、想像もできないふんいきだ。
 目指す場所は、待合室の片隅にあった。大きな窓ガラスが、1枚だけ割れた状態のままになっていたのでわかった。たぶん、両側から新しいガラスではさんで保存したのだろう。
 さらに近づいてみると、床がゆがんでいることに気づいた。なんと、その1、2メートル四方の部分だけ、タイルの床が十センチほどへこんでいるではないか。そのタイルは、表面に無数の傷がつき、白っぽく汚れて見えた。
 昼下がりののどかな空間に囲まれて、まさにその一角だけが、周囲との調和を欠いていた。
 壁を見ると、新聞で読んだとおり、名前を刻んだプレートが埋め込んである。確かに一人だけ日本人の名前があった。
----さぞや無念だったろう……。
 生まれてこのかた、人の冥福を祈るなどということからは縁遠かった駄菓子青年だったが、このときばかりは、やけに目の奥がむずむずして、胸が苦しく感じられたのであった。
(つづく)


 


▲前のページに戻る 次のページに進む▼

■トップページ | 「イタリア貧遊記」表紙■