ある週末は、エステ家の城のある町フェラーラと、モザイクの町ラヴェンナに行こうと思い立った。フィレンツェからかなり離れてはいるが、日帰りできない距離ではない。 さっそく時刻表を調べてみると、おもしろそうな列車があるではないか。フィレンツェ発のラヴェンナ行き直通列車である。ボローニャ経由の本線を通るのではなく、山のなかのローカル線を通っていくやつである。しかも、ラヴェンナまで4時間近くかかるというのが気に入った。 ----おお、これだ、これ! 私は、即断した。唯一の難点といえば、朝6時40分発という時刻だが、遊びに行くとなれば苦にならない。まあ、なんとかなるだろう。 気の早い私は、前の日から、ローカル線の車内にいる自分に思いをはせていた……。 アペニン山脈をのんびり走るローカル列車。がらがらの車内で、ボックス席にぽつんと座っている私。憂いをふくんだまなざしで、窓の外を眺めていると、列車は、とある山間の小さな駅に停まった。カッコウ、カッコウと、遠くから聞こえる鳥の声。窓の外を見ると、息を切らして走ってくるかわいいイタリア娘。ようやく飛び乗った彼女は、車内を見わたして、私の隣のボックスに座る。ややあって、彼女は私に向かって訪ねる。「どこから、いらしたんですか」。私はにこっとして答える。「東の遠い国からです」。そんな会話を交わすうちに、いつしか私たちの心は……。 などと勝手な夢想を繰り広げていくうちに、深い眠りに引き込まれていった。 |
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ここフィレンツェ駅には、用事がないときにも、よく立ち寄ったものだった。行き交う人と列車を見ているだけで飽きない。 ふるさとのなまりなつかし停車場に通った石川啄木の気持ちがわかるような気がした。 撮影 : 1981/11 Firenze |
当日、駅に着いたのは発車まぎわ。ホームには、2両だったか3両編成だったかのフィアット製ディーゼルカーがすでにエンジン音を響かせていた。 息を切らして車内に入ると、すでに座席はうまっていた。 ----なんなんだ、このこみようは……。 出だしから、予定外の展開である。せめて寄りかかれるところに行こうと、人をかきわけて、ようやくたどりついたのは、年配のおばさん3人組が陣取るボックス席横の場所だった。前夜に夢想した光景とは、かなりちがった雰囲気のまま、列車はフィレンツェをあとにした。 それにしても、ていねいに一つ一つじっくりと停まっていく列車である。盆地のへりをぐるりとまわり、フィレンツェの北にあるボルゴ・サン・ロレンツォに着いたときには、いいかげん眠くなってきた。駅のそばに、大きく「ルフィーノ」と書かれたワイン倉庫らしき建物が見えたことを覚えている。 ボルゴ・サン・ロレンツォを出ると、列車は一気に山のなかに入っていく。とはいえ、相変わらず私はおばさん3人組の横で立ったままである。 ディーゼルカーは大きい音を立ててけんめいに坂を登っていった。車内のあちこちで会話が活発になり、私のそばにいたおばさんたちも、エンジン音に負けない大きな声で話をつづけていた。私はヒマなので、これも勉強と思って、おばさんたちの会話に耳を傾けることにした。 どうやら、そのなかの一人が最近フランスのパリに行ったらしく、さかんに「パリージはよかった」「パリージは美しい」と繰り返している。ちなみに、パリージ(Parigi)とは、イタリア語でパリのことである。 私は言いたかった。 ----おばさん、おばさん。わざわざフランスに行かなくても、フィレンツェやローマのほうがずっといいじゃないですか。 そう言ってやりたかったが、それも変なので、眠そうな顔をして聞いていただけである。 そうこうしているうちに、列車は坂をのぼりつづけ、トンネルをいくつもくぐっていった。そして、かなり長いトンネルを出たときである。急に窓の外が明るくなったような気がした。 そこで目を上げて車窓を見ると、私たちのいる列車よりも下のほうに、見渡すかぎり雲海が広がっているではないか。雲海のかなたには、黒々とした山並みが見えている。私は、眠気もいっぺんに覚め、その光景に見とれてしまった。 |
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フェラーラの中心部、エステ家の城のまわりは、何百年も前から時間が止まったような場所だった。 そこで見かけたカッコイイおじさん3人。 撮影 : 1981/11 Ferrara |
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ところがである。車内の人は、誰も窓の外を見ようとしないのだ。 ----おーい、みんなー、雲海だよー。 私は大声で叫びたかった(もっとも、「雲海」をイタリア語でなんというかは知らなかったが)。 せめてもと思い、わざとらしく、きょろきょろと車内を見まわしたのだが、だれも気づいてくれない。 おばさんたちはと見ると、相変わらず、「パリージ」「パリージ」と騒いでいる。 ----みんな、このあたりの人は雲海が珍しくないのかなあ……。 しかたがない……、興奮を分かち合う人も見つからぬまま、一人で窓の外をじっと眺めていた駄菓子青年であった。 列車は10分ほど雲海の上を走っていただろうか。やがてまた長いトンネルに入り、そこを抜けると、雲海はもう見えなくなってしまった。トンネルとトンネルのあいだのひとときの別世界であった。 もちろん、ラヴェンナやフェラーラの町もよかった。だが、私の目には、このほんのひとときの光景が焼きついて離れないのである。 ラヴェンナやフェラーラという名前を聞くと、モザイクやエステ家の城よりもまず、窓の外に広がる雲海と「パリージ、パリージ」と騒いでいるおばさんの姿が頭に浮かんでくるのだ。 それ以来、「老人と海」と聞けばヘミングウェイを思い出し、ラヴェンナといえば「老女と雲海」を連想する私なのである。 |
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