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駄菓子のイタリア無駄話目次
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 何度も学生食堂(メンサ)に通っているうちに、あれほど不快だった入口の大混雑にも慣れてきたのは不思議である。
 それどころか、壁にそって前進すると、漫然とおしくらまんじゅうをしながら進むよりも、やや早く入口にたどりつくこともわかってきた。そんな工夫をするのは、やはり私をふくめた日本人の友人たちなのである。イタリア人やアラブ人らしき学生たちは、いつ行っても、ただひたすら押し合いへしあいをしているのであった。
 まあ、そんなコツを知ったところで、たいした意味もないのだが、なんとなく自分が周囲の学生たちになじんできた感じがしておかしかった。


ニコラの生まれたバーリの町の海岸。
撮影 : 1981/09 Bari
バーリの海岸

 さて、いつものように食事の乗った皿を持ち、空いたテーブルを探していると、同行していたS氏が言った。
「おうおう、きょうもいるわ……。ダガシくん、紹介しよう。友人のニコラだ」
 どうやら、いつもの調子で、S氏はメンサに来るたびにかたっぱしから声をかけていたらしい。そのうちの一人の男性と顔見知りになったというわけだ。
 私は、学校で習ったとおり、握手をしながら「ピアチェーレ(はじめまして)、私の名前はダガシです」なぞと一人前にあいさつをした。

 そのニコラという青年は、ちょっとクシャとした顔をしていて、ジャズ・ピアニストのチック・コリアに似ていた。
 聞くと、彼は南部のバーリ出身だという。なんと、イタリアの有名な歌手のニコラ・ディ・バーリ(つまり、バーリのニコラ)そのものの名前である。

サン・ニコラ教会  もっともあとで知ったことだが、バーリの町の守護聖人が聖ニコラなので、その名前をとった人が多いということらしい。
 バーリの旧市街のはずれ、海岸のすぐそばには、聖ニコラ教会という美しい教会がある。

 そのニコラは、いつも同じ時間に、同じ席にいた。そして、一人で黙々と食事をしていたのである。
 我々が行くと、いつもにこやかに迎えてくれ、やさしいイタリア語でゆっくり話してくれた。
 法学部に在籍しているらしく、将来は弁護士になりたいという。落ち着きがあって、いわゆるイタリア人のイメージにはそぐわない人間であった。

バーリのサン・ニコラ教会にて。
撮影 : 1981/09 Bari


 ところで、まだ彼と知り合ったばかりのときの話である。
 私とS氏とT島氏の3人が、ニコラに向かっていつものように、「きょうは寒い」だの「日本の冬はもっと乾燥している」だのと、毒にも薬にもならないことをしゃべっていたときである。
 ニコラは突然こんなことを言いだした。
「おまえは、なぜ冬が寒いか知ってるか?」
 私はムッとした。
---なんて失礼なやつだ! こいつは日本人をバカにしているのか。そんなことは小学生でも知ってるぞ! 冬が寒いのは、地球の自転軸が公転面に対して23.5度かたむいているために、太陽光線のあたる角度が変わるからじゃないか……。
 小学生時代、理科が好きだった私は、一瞬のあいだにここまで思い出した。

 ところがである。それをイタリア語で言えないことに気がついた。
----うーん、これはまいったなあ……まてよ、そうか、ニコラは我々にイタリア語の練習をしてくれているんだ。
 根が単純な駄菓子青年である。そうとわかったら、ますますうまく答えてやりたくなってきた。

 で、ほかの二人はと見ると、何を考えているんだか、うつろな目をしている。もしかすると、この人たちはなぜ冬が寒いのか知らないんじゃないか……などと勝手なことを思いつつ、いい答え方がないものか、けんめいに頭をひねったのであった。

(つづく)



 


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