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駄菓子のイタリア無駄話目次
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 1990年秋、3度めのイタリア行きのことである。
 帰国の日を目前にして、フィレンツェに立ち寄った。ホテルはどこもいっぱいで、ここはだいじょうぶだろうと思っていた町はずれの安ホテルまで満室。あちこち歩きまわり、アルノ川に面した中級ホテルに、ようやく空き部屋を一室だけ見つけた。

 翌朝は、朝食でたまたま顔を合わせた一人旅の日本人(残念ながら男)と夕食を約して、寝起きのぼんやりとした頭のまま、散歩に出かけた。次の日は午前中からローマに向かうので、フィレンツェの町を歩くのはこれが最後である。
 観光客でにぎわうアルノ川のほとりを歩いていると、学生時代にこの町で出会ったさまざまな人の顔が、私の頭の中に浮かんできた。
----当時の友だちはどうしているんだろうか。日本人の知り合いは残っていないだろうしなあ。イタリア人の友だちといえば……そうだ、ニコラはどうしているかなあ、まだこの町にいるんだろうか。
 そう思うと、むしょうにニコラに会いたくなってきた。だが、別れてから10年もたっているし、絵はがきをやりとりしたのは1回だけ。どうせ引っ越しをしているだろうと思い、住所もメモしてこなかった。
----せっかくフィレンツェに来たのに、この喜びを分かちあえる人がいないっていうのは、つまらないもんだなあ。これじゃあ、まるで観光客だ。
 と、自分もまぎれもない観光客のくせをして、わずか数か月いただけのフィレンツェを、まるで自分の町のように思い込んでいるずうずうしい駄菓子青年であった。


アルノ川のほとりを歩いていると、橋脚にハトがとまっているのが見えた。
撮影 : 1990/09 Firenze
アルノ川にて

 そんなことを考えながら、共和国広場に続く道に足を向け、店のウィンドウをながめながらのんびりと歩いた。
----ああ、あれからもう10年か。建物は昔のままだけど、なかにはいっている店はずいぶん変わっちゃったなあ。
 そして、カフェテラスで楽しげに話している人たちを横目に見ながら、町の中心部にあるドゥオーモの手前まで来た。

 ドゥオーモ広場の手前にある信号は赤だった。車の通行が激しいので、ふだんは信号を守らないイタリア人も、さすがに誰も渡ろうとしない。10メートルたらずの短い横断歩道の両側には、信号待ちの人がかなりたまっていた。
 手持ちぶさたなので、なんとなく、向かい側で信号を待っている人に目を向けたときである。

 びっくりした。
 なんと、最前列に、見覚えのあるくしゃっとした顔のイタリア人が立っているではないか。
 ニコラであった。きちっとスーツを着込んで、アタッシェケースを持っているが、ニコラに間違いない。私は、思わず声をあげて笑いそうになった。
----いやあ、こんな都合のいい話があるのかなぁ……。ニコラのことを考えていたら、本人にばったりと会うなんて……。こんなできすぎた話、誰も信用してくれやしないだろうな。こんな小説や台本を書いたら、みんなにバカにされるにちがいないぞ。
 そんなことを思い、私はにやにやしながら信号が変わるのを待った。

ドゥオーモが見える道 セルヴィ通りから見るドゥオーモ。
撮影 : 1990/09 Firenze

 信号が青になると、まっさきに飛びだして、ニコラの前に立ちふさがった。
「あなたはニコラでしょう?」
「スィー(そうです)」
 もう、私は笑いをこらえるのに必死である。
「バーリ出身の……?」
 彼はびっくりしたように、私の顔を覗き込んだ。
「スィー……、何で知っているんだ?」
 横断歩道の真ん中で、突然東洋人に名前と出身地を言い当てられて、ニコラは笑顔を見せながらもとまどっているようだった。
「ほら、10年前に、サン・ガッロ通りのメンサ(学生食堂)でよく会っていた……」
「ああ、ああ、あの……思い出したぞ。ええと、そうだ……タカシ、タカフーミ、フミコ……。おまえはどれだっけ?」
 変なことだけを覚えているニコラであった。
「タカシだよ、タ・カ・シ」
「そうか、そうか。絵はがきをくれたのはおまえだったっけ? いやあ、なつかしいなあ、もう10年か……オレはこんなにしらがが増えちゃって……」
 彼が髪の毛を指したので、私も付き合いで額のはえぎわを見せて笑った。
「よし、再会の記念にジェラート(アイスクリーム)をおごろう。オレは昔っからジェラートが好きなんだよ。アッハッハ」
 10年前と変わらず、ニコラは気のいいやつであった。

(まだつづく)




 


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