話は飛んで1982年。日本への帰国を2、3日後に控え、ぶらぶらとローマ・テルミニ駅近くの共和国広場あたりを歩いていたときのことである。 ふと見ると、映画館のポスターが目に入った。どうやらポルノ映画館のようである。 ----そういえば、イタリアに来てポルノ映画というものを見ていないなあ……。そうだ、これも勉強のためだ。どうせヒマだし、ちょっとのぞいてみるかぁ。 断っておくが、あくまでも私はイタリア語の勉強とイタリア文化の習得の一環として、この映画館にはいろうと思い立ったのである。けっして、興味本位ではないということを強調しておきたい……。 周囲にひと気がなく、やけに静かなのが気になったが、どうやら営業しているらしい。私は、ちょっぴりドキドキしながら、窓口に向かった。 ----えーと、一人ね。 すると窓口のおじさんはニヤリとして、「いい映画だよ」などと言いながら切符をくれた。 映画館のなかもやはりがらんとしていて、ぽつりぽつりと、ヒマそうなおじさんが腰をかけているのが見えた。はいるまえは、「どんなおかしなおっさんたちがいるんだろう」と心配だったが、意外なことに、上品そうなおじいさんといったようすの人たちが多かった。 ----そういえば、スペインでもこんな映画館にはいったけど、あそこはこんでいたなあ。 ふと、私はその2週間ほどまえのスペイン旅行を思い出した。マドリードで、やはりスペイン文化の習得(ここ強調)のために、ポルノ映画館らしき場所にはいったのである。 | |
永遠の都ローマ。その町に似合う乗り物はバイクと相場が決まっている。 ヴァチカンのサン・ピエトロの前にて。 それにしても、われながらいい写真である。 撮影 : 1996/06 Roma |
館内はすでに満員に近く、懐中電灯をもった案内のおじさんに導かれていくと、私に示された席のとなりには老夫婦がすわっていた。 ----ふーん、夫婦で見にくるのか~。さすが、スペイン、情熱の国だ。 勝手に感動していると、映画がはじまった。ところが、その内容たるや、単なるラブストーリーに毛がはえたようなものである。ちょっと××なところもあったが、当時の日本にくらべても、きわめておとなしいものであった。 もっとも、私は日本でポルノ映画館というものにはいったことがないので、正確なところはわからないが、家の近所にあった浅草や上野の映画館のポスターを見れば、内容の見当はつくというものである。 ----うーん、やっぱりフランコ総統が死んだばかりだし、映画の検閲もまだまだきびしいのかなあ。 当時は、まだスペインの民主化がはじまったばかりで、ピカソのゲルニカがアメリカから返還されたばかりのころである。私は、ポルノ映画を見て、スペインの政治状況や国民生活をかいまみた思いがした。やはり、「スペイン文化の習得」に意味があったと自画自賛をしたしだいである。 そんなことがあったから、イタリアのポルノ映画ではどんな発見があるだろうと、わくわくしながら映画を待つ私であった。 ポルノ映画というと、最初から最後まで○○や××のオンパレードだと思っている人がいるかもしれないが、少なくともこれはそうではなかった。ちゃんとストーリーらしきものがあるのだ。 だが、残念なことに、早口のイタリア語がほとんどわからない。 ----ま、しょうがないか。これまで習ってきたのは、上品できちんとしたイタリア語だもんな……。 物語の主人公は、風采のあがらない30代の無精ひげをはやした男。なんだか、そいつがもんもんと悩みながら、想像をたくましくしていくストーリーのようである。○○や××は、彼の想像の世界で行われているという設定だ。 |
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まだ物売りが締め出されていなかったころのスペイン階段。冬とはいえ、観光客の姿がまばらだったのは、いまから考えれば驚き。 ちなみに、この2人の女性は、本文とは何の関係もない(あたりまえ)。 撮影 : 1982/01 Roma |
はじまったばかりこそ、ドキドキしながら画面を見つめていた駄菓子青年だが、だんだんと飽きてきた。周囲をみわたしても、真剣になって見ている人はいないようだ。暗くてよくわからないが、みんなヒマつぶしに来ているようなふんいきであった。 ----まあ、こんなもんは、なかなか見られないと思うから見たいんだよなあ。日本だって、いつでも見られると思ったら飽きちゃうだろうな。 そんなことを思いながら、ぼんやりと見ていると、画面はいわゆる「おとなのおもちゃ屋」に主人公がはいっていく場面に切り替わった。 すると、彼の顔なじみらしい、これまた風采のあがらない店主が登場し、電気で動く男のアレに似た製品を、主人公にすすめるのであった。 そのときである。この店主の語るイタリア語が、突然私の耳に入ってきた。 「これは、日本から輸入した新製品で、とっても性能がいいやつなんだ」 そして店主は、あれこれとその特徴を説明しはじめた。 ----どひゃー!! これにはさすがに驚いた。 もちろん、日本の家電製品や自動車が優秀であることについて、すでに当時からイタリア人によく言われたものだった。だが、実際にイタリアの店先で日本製品を目にしたことはあまりなかった。だから、日本という国自体がイタリア人にはなじみが薄いという印象を受けていただけに、このひと言にはいたく感動したのであった。 ----いやあ、こんなところで、日本製品が評価されているとは……。 なんだか誇らしい気分がしてきて、その映画が終わったところで、私は胸をはって映画館をあとにしたのである。 この店主のせりふを聞いただけでも、無理をしてポルノ映画を見た意義があったというものだ。 繰り返すようだが、私はあくまでも文化の習得のためにこの映画を見たのであって、けっして興味本位ではないのである……。 ちなみに、この映画のラストシーンは、あれこれと妄想にふけっていた主人公が、あまりのむなしさに襲われて、「うわーっ」と言いながら頭を抱えて身悶えるという、この手の映画にしてはユニークなものだったことを付け加えておこう。 |
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