「じゃあ、次は日本ね」 先生の声にうながされて、私はドキドキしながら教卓のほうに向かった。先生が日本組を最後にしてくれたのは、私への愛情でないとしたら、せめてもの思いやりというものだろう。おかげで、なんとか最低限の語彙だけは調べることができた。 教卓に向かって歩いていると、妙な圧迫感を感じた。どうやら教室の誰もが、私の話をかなり期待しているようなのである。 よく考えれば、これは無理もない。ほかの欧米人の昔話は、誰もが知っているものばかりだったからだ。私が知っているくらいだから、欧米人どうしではおもしろくもなんともない話だったにちがいない。 いきおい、異なる文化圏からやってきたこの日本人が、どんな話を聞かせてくれるのだろうという期待がふくらんでいったのだろう。 私は、緊張しながらも黒板に向かい、おもむろに「MOMOTARO」と書いた。 「これが話のタイトルです。このMOMOというのが『ペスカ』のこと。漁師(ペスカトーレ)のぺスカ(漁)じゃなくて、フルッタ(くだもの)のペスカですよ~」 などと、初級者レベルのギャグを飛ばしながら、説明をはじめたのである。 「TAROというのは、伝統的な日本の男の名前で、一番目の男の子につける名前。とってもポピュラーで……そうだなあ……ええと……」 と考え込んでいると、目の前にいたカリフォルニア出身のインテリ男が合いの手をいれてくれた。 「おお、イタリアならジョバンニだな。ジョバンニ・ペスカの物語だ!」 なぜかこれがウケてしまい、教室がどよめいた。心やさしい人たちである。 おかげで、私は気分よく話をはじめることができた。 | |
フィレンツェ市内のキオスク前にて。 おばさまがたが、毛皮のコートに身をつつんで、町を闊歩する季節になった。 撮影 : 1981/12 Firenze |
「C'era una volta, non so dove'era.., erano un vecchio e una vecchia(こんなときがあったのさ、どこかは知らないけど、おじいさんとおばあさんがいたんだ……)」 ここまでは、あらかじめ考えていたけれど、あとはもう行き当たりばったり。 遠過去にすべきところを近過去にしたり、いつのまにか現在形になったりと、時制からしてめちゃくちゃなイタリア語だったが、みんながまんまるい目をしてじっと聞いてくれているのはうれしかった。 川上から大きな桃が流れてくる場面では、「流れてくる」なんて高級な単語は使えないから、「川の上のほうから来た」で済ませた。先生が適切な単語に置き換えてくれたようだが、覚えていない。 「大きな桃が来たんだ。ドンブラコッコ、ドンブラコッコと音を立てながら……」 なぜかこの「ドンブラコッコ」が、私がとまどうほどウケてしまい、またもや教室じゅうがどよめいた。S氏などは調子に乗って、教室の隅で「ドンブラコッコスッコッコ、ドンブラコッコスッコッコ」と大声をたてて、これがまた大ウケ。擬声語は欧米人には珍しいのだろうか。 それにしても、人につらい役目を押しつけておいて、ウケだけを取ろうとするS氏は困った人である。 そして、いよいよクライマックス、桃太郎が鬼退治に行く場面である。鬼を説明するのが、また一苦労。 「人間に似たモストロ(モンスター)で、体は真っ赤だったり真っ青だったりして、頭の上に、こんな感じでコルノ(コーン)が二つ、そして牙もこんなふうにあるんだ」 もうジェスチャーを交えながら、必死に説明した。 キビダンゴなどは、めんどくさいから「ドルチェ(お菓子)」にしてしまった。 「一つください、お供します」というセリフを犬、猿、キジの3回繰り返すと、これがまた大好評。やはり、ほどよい繰り返しは、ギャグの一つの要素だと納得したしだいである。 文章にすると、まるで私がすらすらとイタリア語で語ったように見えるが、ここまでたどりつくには、ホントに難儀であった。先生やクラスメートの温かい協力があって、ようやく桃太郎はおじいさんとおばあさんの家に凱旋することができたのである。 私が席にもどると、S氏とM子さんが温かく迎えてくれた。 「やあやあ、ご苦労さん」 「ダガシくん、西洋人を笑わせるなんて、なかなかできることやないで」 それにしても、Sさんはともかく、M子さんから温かいことばをかけてもらったのは、前にも後にも、このとき1回きりだったような気がする。 と、私が自分の席で心地よい疲労感と満足感にひたっていたときである。例のカリフォルニア出身のインテリが、こちらに顔を向けて質問をしてきたのである。 「それで、その話の教訓は何なのだ?」 「へ?」 私がマヌけた顔で返事をすると、こんどは別のアメリカの女の子が、きっぱりと言った。 「昔話には教訓があるはずでしょう」 |
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秋期授業最終日の小パーティー。手前の男性が例のアメリカ人で、右奥の青い服が先生。 こんな小さく写っているだけならば顔出しでも問題ないよね。時間もたってるし。 窓の外にちらりと見えるフィレンツェの町並みが郷愁をそそる。 撮影 : 1981/12 Firenze |
私は、まったく想像すらしなかった疑問に直面して、ひどくうろたえた。 ----昔話に教訓? 浦島太郎や舌切り雀だったら教訓があるかもしれないけど……。桃太郎ねえ……桃を食べるときは、かならず中身を確認しろっていうことかなあ……。 などとつまらない冗談を言おうと思ったが、アメリカ人たちがあまりにも真剣な顔をしていたので、口にできなかった。 しかし、そのままだまっているわけにもいかず、「うーん、犬は忠実さのシンボルで、猿は知恵のシンボル……かなあ……」などと口から出まかせをつぶやいたのだが、当然のことながらそんなことでは許してくれなかった。 「そうじゃなくて、その話全体の教訓があるだろう」 なんと、4人いたアメリカ人がみな私のほうを向いて詰問するのである。その数年後に、貿易不均衡問題でアメリカから責めたてられた日本の当局者もかくやと思われる窮地であった。 とそのとき、若くてかわいい先生が助け船を出してくれた。 「昔話には、教訓のあるものもあるし、教訓のないものもあるのよ」 さすがに、才色兼備の先生である。アメリカ人たちはいまひとつ納得していないようすではあったが、なんとかその場は収まった。 それにしても、彼らは「昔話」と聞くと、反射的に「教訓」が出てくるのだろうか。教訓のない昔話など自分たちは認めないぞ、というふんいきがありありと感じられたのである。 ----文化がちがうんだなあ、教育がちがうのかなあ……。それにしても、こんな思い込みの強い国の人たちとは、論争なんかしたくないよなあ。もちろん戦争もしたくないなあ。 まあ、アメリカ人の学生とは、個人的にはとても仲がよかった。だが、このときに限らず、価値観が問われる場面になると、なにか合わないのである。恋愛や文化についての話は、イタリア人の考え方のほうがしっくりくるような気がした。 イタリアに来て、イタリア文化には違和感なく溶け込みながら、アメリカ人とのあいだでカルチャーショックを感じてしまった駄菓子青年なのであった。 |
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