トップページ
東京 -昭和の記憶-
page 1 2 3

 
タイトル 
 

 根津は文京区(旧・本郷区)の東部にある町で、地下鉄千代田線が開通して駅ができてから、一般にも名前が浸透するようになった。いまでは、隣接する 谷中千駄木 と根津を総称して、谷根千地区とも呼ばれている。この名前は、この地区を対象にしたミニコミ誌に由来している。戦災で焼け残ったために、古い面影を残していた地区でもある。
 寺の多い谷中、おもに住宅地の広がる千駄木に対して、根津は商業地としての側面が強い。不忍通りの両側には、さまざまな飲食店や商店が建ち並び、そこから一歩入った路地にも、雰囲気のいい店があったりする。
 もちろん、千駄木寄りにある根津神社も見逃せない。5月になると、境内の斜面にはつつじが競うように咲き誇る。

 千代田線の開通以後、少しずつ変化を遂げてきた根津の町だが、ここ20年ほどの変化はとくに激しい。不忍通りに面した建物は、ほとんどが高層マンションに姿を変えてしまった。

*写真にポインタを置くかタップすると、同じ場所の2011年の写真が見られます。


根津駅前交差点

根津駅前(根津一丁目)の交差点。不忍通りと言問通りが交差している。
1979年にこの写真を撮った時点でも、「ここにきて、ずいぶん変わっしまった」と感じたものだったが……。
ちなみに千代田線の開業は1969年。70年代なかばころから、町の様子が大きく変わりはじめた。

1979.12(2011.5)


根津駅前の交差点から言問通りを歩くと、昔ながらの商店が軒を連ねていたのを思い出す。
この写真は、50mほど言問橋側に向かって左折した地点。昔も今も賑わっている場所である。

1988.3(2011.5)

根津交差点北側

丸山医院

さらに言問通りを北上。上野桜木交差点の手前で左折をする。(この写真で、言問通りは、写真奥の左右に走っている)
三叉路にあった板壁の長屋。看板に記された丸山医院はこの左にあった。谷中(左)と根津(右)の境にあり、この建物の住所は谷中1-3となる。

1988.5(2011.5)


根津図書館裏の根津2-22あたり。表通りから入ったところにも、あちこちに商店が点在しているのが根津らしいところである。

1988.3(2011.5)

根津図書館近く

不忍通り・根津神社入口

根津神社のつつじ祭りに行くために、珍しくカメラにカラーフィルムを入れていた。看板建築の商家が並ぶ不忍通り。根津神社入口の交差点である。
この写真の右手に、谷中方面に延びる藍染大通りがある。

1988.5(2011.5)


藍染大通りとは豪快な名前だが、じつはわずか150mほどの商店街。1990 年ころまで、この通りの両側に、年代物の立派な商店が軒を連ねていた。
ここは藍染大通りの北東の端。2011年にはすでに取り壊されて、マンションの建築中だった。

1988.5(2011.5)

藍染大通り

藍染大通りの北側

上の写真から、20mほど後退して撮影。ここはもう谷中である。そして、藍染大通りに直行して、かつて藍染川だった道(画面の左右にあたる)が走る。

1988.5(2011.5)


 


page 1 2 3 次ページへ ▼

■トップページ | 「東京 -昭和の記憶-」表紙に戻る■

「定点写真でめぐる東京と日本の町並み」表紙 『定点写真でめぐる東京と日本の町並み』
(青春出版社)
1,550円+税
2019年10月発売!