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春採側には選炭工場から車両工場まで、さまざまな工場があり、これでもかというほどレールが敷きつめられていた。 模型ファンだったら、よだれを垂らしてみとれていたことだろう。 |
これは、いわゆる事業用車。 左端にあるのは人員輸送用のいわゆる「人車」。中央がどうやら除雪用のロータリー車らしい。右側のは……? 釧路ではそれほど雪が積もらないので、除雪車が活躍するチャンスは少なかっただろう。 |
鉱業所の構内には、これまた不思議な車両がうごめいていた。これは、ヤグラを立てたような機関車。 写真の左から機関車の後方にかけて、巨大なインクラインが見える。ここを、強力な機関車にひかれた炭車だか人車だかが、しょっちゅう出入りしていたのが見えた。 |
5万分の1の地図を見ると、鉱業所の近くに露天掘りらしきくぼ地とそこを走る線路が記されていたので、さっそく行ってみる。 すると、そこには、すでに使われていないレールの跡が放置されていた。 |
この少し後、輸送力増強ために、ひとまわり大きな機関車が導入されたとのことだが、予想以上に騒音と振動があり、しかもその割には輸送力がたりなかったようだった。 結局、1989年に鉱業所の構内の線路を残して、専用線ごと廃止になってしまった。考えてみれば、ひどく無駄な投資だったわけである。 代わって、いまでは地下にベルトコンベアーが設置されているとのこと。泥道の横をゴトゴトと行き来していた運炭列車がなつかしい。
一時は、日本の炭鉱はすべて廃止される方向にあったようだが、エネルギー政策の転換によって、太平洋炭鉱と長崎県の池島炭鉱は残ることになったようだ。といっても、この専用線を見ることはもう二度とない。 それはともかく、炭鉱と聞くとそれまでは暗いイメージばかりあったのだが、ここ釧路はそんな固定観念とはちょっとちがった、やや明るいふんいきが印象的であった。帰りがけに炭鉱職員用の生協に行って、安売りのスウェットシャツ(いわゆるトレーナー)を買ってきた私である。 |
1999年公開 |
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