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東京 -昭和の記憶-
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タイトル
 

 墨田区京島は、京成電鉄押上線、東武鉄道亀戸線、曳舟川通り、明治通りに囲まれた半月状の地域に付けられた名前で、一丁目から三丁目まである。かつての寺島四丁目、吾嬬町西一丁目・四丁目・五丁目にあたり、空襲で大半が焼失した墨田区(旧・本所区+向島区)にあって、奇跡的に焼け残った地区である。
 そのため、1980年代までは戦前に建てられた木造住宅があちこちに残り、路地が複雑に入り組んで、かつての下町の風情をよく残していた。

   *   *   *   *
 三丁目は、京島地区の北側にあたる。最近になってずいぶん変わってきてはいるが、今でも昔ながらの長屋や路地が残り、入り組んだ路地はまさに迷宮。京島のなかでも一番ディープな下町の雰囲気を残している。1925(大正12)年の関東大震災を境にして、京成線の開通、工場の建設ラッシュによって、農村地帯から一気に住宅地になったのだという。
 この町には母方の実家があることで、幼いころからなじみがあり、10代から20代にかけては10年間ほど住んでいた。昭和50年ころまでは、夏になると夕涼みがてら縁台で将棋をする人がいたり、どこの家も隅田川の花火を物干しから見ていたりと、今思うと貴重な風景がそこかしこで見られたものだった。

 隣接する地区については、「京島一丁目」「京島二丁目」「押上~業平橋」「墨堤~向島界隈」が公開済。

*写真にマウスポインタを置くと、同じ場所の2018年の写真が見られます。


橘銀座商店街(キラキラ橘商店街)
 京島三丁目の東寄りを南北に貫いているのが、「橘銀座商店街」である。現在では「キラキラ橘」という愛称で、よくテレビ番組の下町特集に登場する。
 その名称は、かつて商店街の北側にあった「橘館」という映画館に由来している。そのため、年配の人は「橘館通り」とも呼んでいた。

橘銀座(キラキラ橘)商店街

買物客で賑わう夕方の橘銀座商店街。商店街のちょうど中央あたりで、右側の店では、駄菓子や雑貨が売られている。

1982/03(2018/06)



上の写真から一歩脇道に入ったところに、見事な破風屋根をもった棟割の五軒長屋があった。一番手前の店は米屋である。
橘銀座商店街は、この道の突き当たり。

1982/03(2018/06)

橘銀座(キラキラ橘)商店街脇道の五軒長屋

橘銀座(キラキラ橘)商店街

活きのよさそうな魚が並ぶ魚屋の店先。現在は果物屋になったようで、シャッターには派手な色のイラストが描かれていた。

1982/03(2018/06)


明治通りに近い商店街の北の端。左奥に見えるスーパーのダイエーがあった場所に、かつて映画館の「橘館」があった。ダイエーのあとは、青楓チェーン(セイフー)、そしてグルメシティに代わり、2018年現在は更地になっている。

1981/08(2018/06)

橘銀座(キラキラ橘)商店街

橘銀座(キラキラ橘)商店街

商店街の中央あたり。墨田京島郵便局あたり。

1982/03(2018/06)


■雪の橘銀座商店街  *現在との対比はありません。

1983年から1984年の冬は、昭和59年豪雪とも呼ばれるほど、全国で大雪となった。東京でも雪の日が多く、1月19日は都心で22cmの積雪を記録した。

1984/01

雪の橘銀座商店街
雪の橘銀座商店街  

雪で休みにした店も多かったが、この魚屋は営業していた。

1984/01


 


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