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時刻表にない鉄道を求めて
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タイトル
大鹿で見たモーターカー  

新旧のモーターカー
巡回用のモーターカー。奥にあるやつは、銀色と赤ともう一色の鮮やかな三色で、まだ真新しい感じであった。
1974.8

モーターカー ラジエーターがユーモラスなモーターカー。
1976.8

これもまた、ユーモラスな顔。こんな犬がいる?
1976.8
モーターカー

モーターカー ウグイ川方面からやってきたモーターカー。ウグイ川は切り立った深い谷をつくり、その水は透き通るような緑色をしていて、いまにも引き込まれそうな気がした。
1976.8

大鹿操車場の隅に置かれていた小型のモーターカー。
1976.8
モーターカー

モーターカー 大鹿にいると、次から次へとモーターカーがやってきた。
1976.8

これは、雪が積もったときのために用意されたラッセル車だろう。
1976.8
ラッセル車

氷ヶ瀬  

氷が瀬の貯木場 大鹿からトンネルを越えたところにある氷ヶ瀬の貯木場。このときには、かなり線路がはがされていた。
1976.8



大鹿淵橋梁
大鹿淵橋梁。この下を流れる川は、目の覚めるような瑠璃色をしていたが、それも1984年の長野県西部地震で濁ってしまったという。
1976.8


  木曽森林鉄道が廃止されてから、もう長い年月がたってしまった。
最近になって上松の駅で降りる機会があったのだが、どうも林鉄のない上松というのは、何か物足りない。いや、物足りないというよりも、信じられないのである。
  JRのホームに降りると、反射的に貯木場のあった方向に目がいく。あの小さな機関車が、いまでもちょこちょこと動いているような気がするからだ。だが、どこを探しても、機関車はおろかナローの線路も見つからない。そこで、はじめて「やはり森林鉄道はなくなったんだ」と実感して、茫然とするのであった。

 そして、忘れてはならないのが、1984年にこの地域を襲った長野県西部地震である。かつて森林鉄道の支線があった濁川温泉では温泉ごと土石流に襲われ、跡かたもなくなってしまった。この写真を撮った各地でも、犠牲者やけが人の出た場所が少なくない。地形も大きく変わってしまったところがあるという。一度、再訪してみようと思うのだが、なかなかその機会もなく、きょうまでたってしまったのである。

  ところで、もう二度と見ることのできない木曽森林鉄道であるが、赤沢の自然休養林に行けば、あのマッチ箱のような客車に乗れる。赤沢は、早くに廃止された小川線が走っていた場所である。そこに、観光用の森林鉄道が再現されたというわけだ。
「どうせ観光用だろう」と、たかをくくっていたが実物を見て感動した。実際の軌道跡を利用しているだけあって、距離は短いが、それらしい風景である。森林鉄道ファンはもちろん、家族連れにはおすすめのポイントといえよう。

参考図書:『木曽谷の森林鉄道』(西 裕之 ネコ・パブリッシング)

2008年10月作成


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